訪問記録

2017年フィリピン訪問記録


8月28日月曜日 マニラ着。ケソンの修道院へ。日本から持ってきた荷物の分別。

8月29日火曜日 タラへ。人形工房で人形の仕入れ。タラの総合病院を訪ねる。パンガラップを過ぎてケソンの修道院へ戻る。

8月30日水曜日 ケソンの修道院で「国語の日」の催し。SEIBO学園系列の子供たちが集まってダンスや民族舞踊を披露。午後からバザー用品を買いにマニラ市内へ。

8月31日木曜日 修道院の車でタガイタイへ。夕食の前にチャペルで子供たちとお祈り。食後、ホールで歓迎会。ダンスや演劇を披露してくれた。日本から持ってきたノートやボールペンなどをプレゼント。子供たちと交流。タガイタイ泊。

9月1日金曜日 タガイタイ市の教会でミサ。朝食後、子供たちと交流。午後ケソンの修道院に帰る。

9月2日土曜日 午前Vedruna財団の理事会総会。昼食後、修道院の近くにあるスラム(マサガナ地区)を廻る9月3日日曜日 帰国。

※ 田丸神父、若林和久、上野賢一が訪問

タ ラ

タラの総合病院。元はハンセン病専門病院で、タラ友の会の原点。今でも男子病棟2棟、女子病棟1棟がハンセン病患者の病棟になっている。各病棟に20名ほどの患者がおり、一人のお年寄りの女性が、私の娘が日本にいるとうれしそうに話てくれた。まだ、若い患者も何人もおり、ハンセン病をフィリピンで根絶するに時間かかりそうだ。病棟内はエアコンもなくベットもよごれたまま。


 人形工房。元は、ハンセン病患者の生活支援のためにタラ友の会の支援つくられた工房。今は、独立して協同組合組織になっている。最近、注文もへり、従業員も少なくなってしまった。せっかく来た注文もすぐには応じられなくなっている。今後の経営が心配。



パンガラップ

 支援している幼稚園がある。年少組、年長組各30名ほどの園児がいる。開発のため、現地財閥に土地を買い占められて、住民が立ち退きを迫られている。殺人事件もおきていると聞かされた。園舎の改修工事が、資材の搬入が拒否されてできないでいる。地域内への出入りが厳しくチェックされている。写真はそのゲート。


タガイタイ

養護施設がある。現在、11人の子供たちが2人のハウスマザーと一緒に生活している。施設内で幼稚園から高校までの教育が行われており、シスターやこの施設で育った女性が先生をしている。少人数なので、これまで通常の教育をうけてこれなかった子供たちに合わせた教育が、できるようになった。

夕食後の歓迎会で自分たちの境遇を題材にした劇を演じてくれた。飢え死にした子供を抱き嘆き悲しむ母親。彼女を囲んで、共に祈るこどもたち。そして、天使がきて、亡くなった子供を天国へ導いてくれる。 


日本から持ってきたおみやげのノートやシャープペンシル、ボールペン、ハンカチーフを渡す田丸神父様と若林氏。年下の子供から順番にならんでいる。

もらったノートを見て、表紙に描いてある動物に興味をしめす子供たち。とても楽しそうだ。


ケソン

ケソンの修道院の近くにマサガナとよんでいるスラムがある。シスター方は適時、巡回していろいろな相談に応えている。



スラムの中にある住宅に入れていただいた。6畳ほどの狭い部屋で親子4人が暮らしていた。床の模様はきれいだが、ビニールシートだった。


 2016年フィリピン訪問記録

                 荒井貴

 2016年9月、二十数年ぶりにフィリピンを訪れた。変わったこと、変わっていないこと…その両方を見たような気がする。

  ケソンに到着、翌日にタガイタイへ…

 私は以前にもタガイタイを訪れているが、その記憶がほとんどない。私がかつて訪問した時にタガイタイの施設はまだ建設途中で全く印象に残っていなかった。

 到着して驚いていたのが、私以外の3人であった…『へぇ!ずいぶん変わったんだねぇ~!』

感嘆の声があがる。すると、小さな子供たちが(7匹の犬たちとともに)私たちのもとに走り寄てきた。ブルーの制服を着ている子供たちは、下は幼稚園から上は高校生くらいであった。子供たちは、様々な事情で親を失ったか、またはスラムで育ち、教育の機会を奪われ、この施設に預けられている。人数は全員で18人。タガイタイでは子供養護施設が運営されていると聞いていたが、今回訪れてみると、Seibo Learning Centerという『学校』が立ち上がっていた。以前は子供たちを近隣の公立学校へ送り出していたが、フィリピンの公立学校の教育の質が極端に低いという事もあり、シスター達が自ら学校を立ち上げた。

 このセンターは、あるフィリピン人司祭(ドミニコ会)が考案した指導方針に基づいて運営されている。その手法はかなりユニークで、学年や年齢にかかわらず、その子供の学習の進み具合によって指導をする。例えば、10歳の子供でも学校で学ぶ機会がなかった場合は、幼稚園のレベルから指導を始め、学力の向上を図る。最終のテストで満点が取れるまで繰り返し指導が行われる。まさに、『学びの多様性』である。

  変貌を遂げた『タラ』

タラのハンセン病療養所は大きく変貌を遂げていた。かつては、米軍が残していった『カマボコ兵舎』を利用してシスター達が患者の治療にあたっていたが、今は立派な病棟で専任の医者と看護師が張り付いている。しかし、まだ20代そこそこの若い患者が搬送されていて、『ハンセン病撲滅』の道のりは長く、遠いことを痛感した。

  タクシーの窓から見た光景

べドゥルーナ財団主催の理事会に出席し、その後フリーとなったため、タクシーで外出することとしたが、交通渋滞の影響で同じタクシーでケソン市内をぐるりとまわり、修道院に戻ってきてしまった。

 しかし、そのタクシーの窓から見えた光景に私はしばし言葉を失った。ある通りを走っていると、小さな女の子が路上で物乞いをしている。しかし、その女の子、顔つきは大人びている割には体が極端に小さい。明らかに手足が短く、いわゆる『小人症』のような体つきだ。しばらく車が進むと、その女の子の母親らしき女性と別の子連れの女性が地面に座り込んで何や話し込んでいる。

 フィリピンのシスターたちは、そんな貧しい子供たちを一人でも多く救い出し、生活の場と教育を授ける事に力を注いでいる。そのシスター達の活動を日本から支える…。

『タラ友の会』が果たすべき役割はまだ大きい。

※今年は9月20日から26日にかけて、田丸神父、荒井貴、若林和久、上野賢一の4名が訪問しました。